穂高町の思い出
今回は年末年始について書こうと思う。
私が子どもの時の記憶だ
まだ家には餅つき機があって餅を作っていた。
長野県の餅は関東タイプの四角だ。
藁でしめ飾りを作ったり飾り付けをしたりもした。
そんなかんじで新年の準備をした。
年末のイベントはほぼ大晦日。
よくあるちょっと豪華な食事が出て 紅白歌合戦を見る。
起きていられれば穂高神社への二年参り(うちでは二年参りと呼んでいたが全国的には初詣らしい)
穂高神社は31日の23時あたりからものすごい混む。
警備員などが交通整理に出たりしてあたりは大渋滞だ。
31日23時55分あたりでピークになって神社本殿前はものすごい賑だった。
新年を告げる太鼓の音とともに一気に人がなだれ込む。
後方からは賽銭が投げ込まれ頭にあったたり 押されて転倒する人もいた。
そんな祭りのような賑がとても楽しかった。
年が明けて家族に新年の挨拶をし少ないお年玉をもらい 雑煮を食べる。
午後にはまた穂高神社へ初詣に出かけた。
当時はスーパーなどの店は正月三ヶ日は休業が当たり前だった。
町は正月独特の雰囲気になっていた事を思い出す。
今では見られない光景だ。
親戚がきたり挨拶に行ったりしたのは小学校に入るくらいまでで それ以降はあまりしなかった。
うちが親戚付き合いが薄いという事も影響している。
年賀状を見たり 返事を書いたり 宿題の書き初めをしたり と割と普通の正月だ。
特に地方独特の習慣とか行事は思いつかない。
個人的にはみかんを食べ過ぎて体や眼球が黄色くなり
ドクターストップをかけられた事が唯一の正月の事件だった。
もう実家で21年 年越しをしていない。
この先も特に予定はないけれど ものすごい混んでいた思い出のある穂高神社の年越しも
東京の尋常じゃない混雑に慣れた今、昔とは少し違って見えるのだろうか?
正月が終わると どんど焼きというイベントが行われる。
次回はどんどやき について書きます。
おわり
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