画像はこちらのブログ記事からお借りしました
穂高町の住民、特に穂高神社周辺にとっては御船祭は特別な行事だと思います。
御舟祭り公式ページ
毎年9月26日、27日に行われる御船祭り。
長野県の真ん中、安曇野の地で船の形をした山車を引き回して行われる祭だ。
その昔 北九州界隈の安曇族が日本海を北上し、信濃川をさかのぼって現在の安曇野に来たと言われているゆえんが
この船の祭りに表れているという。
たしかに自分の風貌は弥生系ではなく堀の深い縄文系だ。
もしかすると先祖は九州の南の方の民族かもしれない。
この御船祭。
子供の時、小学生まではこども船を綱で引くのが主な参加方法だ。
各氏子地域でそれぞれこども船は作り、確か3台だったと記憶しているが
25年前の当時でも船を出せなくなる地域があり1台減った状態だったと記憶している。
こども船には前後にこどもの着物で装飾をする。
片方は男の子、もう片方は女の子の着物だ。
この着物は飾りではなくてその地域の家をまわって借りてくる着物だった。
子供の健康や繁栄の祈願も込められているのだろう。
しかし 御船につけると汚れたりするので年々貸ししぶられる事も増えた。
まあ 扱うのが中学生なので雑さは否めない。
うちのエリアでは
穂高神社を出発し、穂高駅のロータリーを通り、スーパーヤマイチの前の道を上へ上がり
穂高大橋南交差点手前(穂高ゴルフセンターあたり)までお船を引いていき、喫茶店のような店の敷地で休憩をし(おにぎりとかもらった)
その後きた道を引き返して穂高神社に戻る
というコースだった。
今地図を見ると往復約3キロという距離だ。
船の中で演奏するお囃子は2種類ある。
早いメインバージョンと遅い曲だ。
これを交互に演奏するのだが、遅い曲では船を引く速度がぐっと落ち、逆に速い曲では速度も速くなる。
これは陸上の山車だけど、その昔船を漕いで海を移動していた先祖も同じように漕ぎに緩急を付けて体力を調整したり
危険回避時には速度を上げるとか 太鼓や笛の音楽でテンポをとっていたんだろう と古の知恵にも触れた気がした。
御船に乗って太鼓や笛でお囃子を演奏するのは中学生男子の役目だった。
音楽が好きだった事もあり お船にのってお囃子を演奏するのが楽しみだったし
最高にかっこいいと思っていた。
中学に入ると念願のお囃子の練習に参加する。
自分は篠笛を担当したけど、体力のいる大太鼓は交替で行うので叩けるように練習した。
その他の楽器は小太鼓、シャンシャンと呼ばれる金物もひと通り練習した。
当時お囃子の練習は夏に穂高神社境内でやっていた。
神楽殿に太鼓や小太鼓を置き、笛関係は下で座って練習した。
当時の上級生から悪い遊びなんかも教わることもあった。
タバコなんかはここで知った人も多いと思う。
さて、お囃子の練習は連日続き 本番の日を迎える。
1年2年の下っ端はお船の腹(下のドダイのところ)に乗って演奏する。
先頭に陣取って笛をふき、電線を避けるのは3年生だ。
中学3年の時には私は副団長を務めた。
団長は死んでしまった幼なじみのHだった。団長は主に大太鼓をやる。
御船祭の前夜には穂高神社で祈祷に参加する。
団長と私で神主と一緒に本殿の奥に行く。
普段は入れない場所に入るこの時はなんとも言えない神妙な気持になったのを覚えている。
さて、御舟祭本番。
1日目は神楽殿で舞の奉納があったり、祈祷関係が一式とり行われる。
最近では よくわからない太鼓集団が来てパフォーマンスをしたり、出店やイベント会場に人が集まっているだけで
祭りの本質を見ていない客が増えたという。
集客は大切だけど、地元に伝わる本来の祭りの姿を見ないではもったいないと思うのは自分だけだろうか?
こども船の町内引き回しがおわり 穂高神社境内に戻ってきた後、本殿前のロータリーに入る。
その時自分は船の先頭上で、音楽パート的に言えば いわばリード篠笛をやっていた。
鳥居をくぐった時にはなんとも言えない高揚感があった。
その後数回まわった後に退場し展示場所に戻る。
この後は、祭りの本番 大人船同士がぶつかる喧嘩船がありクライマックスを迎える。
大人船2台。
子供船より2まわりほど大きい。
中でお囃子をするのは青年団の大人達だ。
神楽殿のまわりを何度かまわった後 最後は2台の男腹側と女腹側を本殿正面でぶつけあう。
毎年けが人がでるくらい激しいぶつかり合いだ。
指を切断してしまったという事故もあった。
この喧嘩船(子供の時はそう呼んでいたが正式名称は御船奉納と言うらしい)
実際は子孫繁栄、子宝に恵まれるように という男女の肉体関係を模しているのだろう。
この喧嘩船が終わると祭りは終わり安曇野は短い秋を終えて一気に冬へと季節がかわっていく。
中学3年生でお囃子は一旦卒業する。
高校生はお船を作る手伝いくらいはするが 祭りへの参加はほぼ無かった。
自分は高校卒業後上京し穂高町を離れてしまったのでその後 青年団などへも参加すること無く
40代をむかえた。
ここ最近は中学生の数も減りお囃子のなり手が少なく小学生も参加しているようだ。
YOUTUBEで見た動画では篠笛の演奏も子供向けなのか節回しなどが省略された簡単バージョンになっていて なんとも寂しい。
父は定年退職後に穂高人形製作を勉強し、人形作りなどで御船祭りに参加している。
東京のNHKニュースなどでは穂高神社の御船祭りのニュースが流れることもあった。
参加していないとはいえ やはり自分にとって祭りといえば御船祭だ。
完全に大人になった今 もう一度 今度は観客の目線で見学に行こうと思う。
ダイドードリンコ提供の
「日本の祭り」という素晴らしい番組がある。
穂高神社の御船祭も取り上げられたのですが
是非再放送をして全国に素晴らしさを広めてほしいと思います。
終わり